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出版

タイトル 河川堤防(<特集>第52回地盤工学研究発表会)
著者 岡村 未対
出版 地盤工学会誌 Vol.65 No.11/12 No.718/719
ページ HP1〜HP1 発行 2017/11/01 文書ID jk201707180015
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  • タイトル
  • 河川堤防(<特集>第52回地盤工学研究発表会)
  • 著者
  • 岡村 未対
  • 出版
  • 地盤工学会誌 Vol.65 No.11/12 No.718/719
  • ページ
  • HP1〜HP1
  • 発行
  • 2017/11/01
  • 文書ID
  • jk201707180015
  • 内容
  • 河川堤防River Levee in Japan岡村 未 対(おかむら みつ)愛媛大学大学院理工学研究科 教授我が国はモンスーン地帯に位置し多量の降雨があり,河川の流域面積が大陸の大河川と比べると非常に小さいため,短時間のうちに降水が河川に流出し,河川の高水継続時間は短いがピーク流量は非常に多いという特徴がある。この高水特性は中小河川で顕著であり,思いもかけぬ豪雨が小面積に降ると流域面積当たりでは大河川より遙かに大きな高水流量が発生する。このような高水を防御する我が国の河川堤防の整備状況は,直轄区間の堤防約 1 万 3 千 km については数十年に一度の規模の洪水に対する計画断面(形状と大きさ)を満足するものが未だ 66%であり,この計画規模の堤防整備が終わるのが現在のペースだと数十年(今世紀末頃まで)を要するものと想定される。我が国の本格的な治水整備が始まったのは明治期で,特に旧河川法が制定された 1886 年以後であり,そこでは近代科学が外国人技術者により導入され,水位計測や測量と水理計算により,水系一貫の考え方の元で治水計画がたてられ,近代工法が導入された。我が国では防御する土地の多くが水田稲作地帯であり,梅雨期から台風期にかけて発生する洪水発生期と稲作期が重なるため,それに合わせた治水計画が策定された。すなわち,河川の規模(流域面積,長さ)が小さい割に巨大な洪水流量が発生する我が国の河川に,その洪水流量を氾濫させず,長大連続堤防を築いて河道内を素早く流下させ海まで運ぶ,そういう治水戦略である。蛇行部を直線化する放水路の建設,計画流量を流すための河道の整備と河積の確保,堤防の嵩上げ,さらに戦後はダムの建設等を進め,一般会計比でおよそ 1%前後の国費を河川費としてこれらの事業に注入し続けてきた。明治から戦前期までは大規模な洪水が頻発し,整備が進んだ河川を含め,甚大な被害が頻発した。河川を整備すると,それまで上・中流で適度に氾濫するなどしていた水が氾濫せずに全て河川に入ることになり,整備が進むにつれてさらに高水が大規模化するという,イタチごっこの様相を呈したのである。利根川を例に説明すれば,を記録し,増補計画(新計画)で計画流量 10 000m3/s に設定し,堤防嵩上げ,河道拡幅,浚渫を進めたが,太平洋戦争勃発により未了となる。終戦後,1947 年カスリーン台風により流量 17 000m3/s を記録し,右岸栗橋付近で大破堤し,氾濫流が東京東部を 10 日間に亘り水没させた。淀川でも河川整備と洪水による被害が繰返された。1880 年の淀川改修計画で改修された堤防が,1917 年の大洪水で決壊し,同年の国会で増補計画が審議された際の沖野・内務省技監(土木学会第 2 代会長)の答弁が象徴的であるので挙げておきたい。質問:「堤防を高くしておけば良かろう,或いは少々だけ堤防を太くしておけば安全であろうからという,甚だ空漠なことで設計をされているように伺われる」沖野答弁:「全体に治水の策としての堤防は危険なもの。何時,どこで切れるかわからない。どういう堤防を築いても破堤しないということは請け負えない。我が国では実際を言うと堤防を築き水防活動により決壊を防止する他に策はない。さう云うものとご承知を願いたい」戦前から戦後にかけて大洪水と甚大な被害の発生は激烈を極めた。東京オリンピックが開催された 1964 年までの間,洪水による年間犠牲者が 1000 人以下の年はほとんど無かったのである。一刻も早く,少しでも堤防を高くする,それが治水事業での至上命題であったことは容易に想像できる。1997 年からはようやく堤防の浸透や滑り,地震に対する安定性が検討されるようになったが,それまで土質力学の出番はほとんど無く,土堤原則と形状規定により堤防整備に邁進してきた事情が理解できる。現在の堤防形状と明治期の計画断面を見比べると,驚くほど似ていることに気付く。沖野技監の答弁でわかるように,土質力学の知見が含まれていなかった戦前の河川堤防の築堤方針(均一堤防,土堤原則,形状規定)が概ねそのまま現在まで引き継がれているのである。しかし,今後河川堤防の置かれるであろう状況はさらに厳しい。気候変動による降雨量増加で洪水流量がさらに増加するが,ダムの建設もままならない状況では水の行き場が無く,河道内に貯めることも一案として検討されていまず 1886 年の 大洪水で八斗島-栗橋間で流量 3,750m3/sる。河川堤防にフィルダム並みの信頼性が求められる時を記録。それを受け計画流量を 3 750m3/s に設定。1910代が迫っている。一方,今のペースでは今世紀末頃まで年大洪水が発生し,流量 7 000m3/s を記録し,多数の破堤形状の整備だけでも終わらない。悠長なことは言っていが発生。改修計画を変更し,計画流量 5 570m3/s に再設定。られない。地盤工学の活躍が真に求められている。1930 年に完成したが,1935 年の大洪水で流量 10 000m3/sNovember/December, 2017(原稿受理 2017.7.24)HP1
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